おおやぎみほのせかい

CFJ Paris(ジャーナリスト養成所)の卒業生・大八木美穂がつづる、つれづれ日記。

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もっとアフリカのことが知りたくなったラゴス



Lagosという都市の名前を、
この会社に入るまで、
私は知りませんでした。


日本人の私たちには
馴染みのない国、ナイジェリア。
その都市のひとつだそうです。



国や都市のことを知らないまま、
ただ「このフライトは◎◎だ」
という噂だけを聞いていたので、
きちんと調べてみようと、
日本政府の外務省HPへ。



アフリカ大陸でも、
「特に危険」といわれる国のひとつだそうで、
強盗団がバスに乗り込んできたり、
レイプされたり、ということが
本当にあるんだとか。


その理由のひとつでもあるのが、
貧富の差だそうで、
富裕層は石油関係に勤める現地の人たち、
また石油関係企業に勤める外国人だそう。



飛行機に乗っている、という時点で、
やはり「裕福」な人々が多いようで、
いつになく免税品の注文が多かったり、
「私はこうしたい」という要望が多かったり、
なるほど、これがラゴスか。と
感じる部分が多々ありました。



現地・ラゴスに到着すると、
警察車両が我々クルーの乗るバスの前後に
「護衛」として付くのだと伝えられ、
その物々しさに、少し不安を感じましたが、
いたって、普通の手はずなようで、
そういった警察を雇っていると
いたるところで行われている検問所で
変にお金を取られたりなどしない、
ということを帰りの便でお客様から
教えていただきました。



なるほど、その国にはその国の
ルールがあるのですね。



滞在したホテルから結局外には出られず、
部屋でワールドカップを見たり、
インターネットをしたりしていたのですが、
2時間半ごとに起こる停電、
そして鳴り止むことのないクラクション・・・



十分、「あ、アフリカにいるんだ」
と感じることができました(笑)




もう1つびっくりしたのが、
ヘルメット無しでの大型バイクの運転が
まったくもって、普通に行われていること!!!!



背も高く、体もしっかりした、
黒光りの青年たちが、
大きな大きなバイクに、ヘルメットをつけずまたがり、
結構なスピードで飛ばして走っている姿は
なかなかの貫禄でした。。。。


ひさびさにバイクに乗ってる人はかっこいい、と
おもいました(笑)



でも、危なくないのだろうか。。
心配です。




帰りのフライト中、
空の上からみた、サハラ砂漠付近でのサンセットは
本当に本当にすばらしかったです。
残念ながら写真には収めていないのですが、
あの景色は、写真じゃなくて目の奥底に
真空パックして閉じ込めておきたい、
それくらい美しかったです。




03:23 | フライト先で。 | comments(1) | trackbacks(0)
香港


前回、香港を訪れたのは
それこそ10年くらい前のお話。


あれから10年。
アジアはぐんぐん成長しているし、
きっとずいぶん変わってるんだろうな〜
と思いながら、香港の町を歩いてみました。



いつもどおり、ノープランで、
ホテルでもらった地図を片手に、
「ん〜〜?このへん!!」
てな具合で、電車を降り、
「やっぱ香港のビジネスマンを見なければ」
と思い、商談とかに使いそう・・・という
理由から、マンダリンオリエンタルの
ラウンジへ。




想像してたとおり、
ビジネスマンが商談してる(笑)




ミーハーな私は、
その雰囲気を楽しむだけで
「ザ・香港」
を体験できたキモチになりました。





マークジェイコプス監修の
アフタヌーンティセットを頼み、
(これが残念ながらおいしくなかった・・・・)
朝も昼もこのためにケチって抜いていたので、
ぺろりと食べ終わり、
聞いてないフリをしながら、会話を盗み聞き・・・・(笑)



まるでTOEICのリスニングCDのようでした。



いや〜、なんというか、
活気がありました。




明らかに日本人だと思われる方々も、
非常に流暢な英語で、アジアのビジネスマンや
アラブ系のビジネスマンとやりとりしてるんですね。



日々の仕事や生活では、7割くらい
インドなまりの英語ばっかりを耳にしているので、
美しい発音で流暢に話すビジネスマンの方々の
英語というのが刺激的でした。




そのあと、実はフェリーが大好きな私は、
「フェリーって安い?」と両替商のおばちゃんに
聞いて、「2ドルだよ」といわれるやいなや、
一路、フェリー乗り場へ。



のぼせて倒れそうなくらい暑かったですが、
フェリーに乗って、香港の高層ビルや
夜ならネオンがともる看板をみていると、
ふと10年前のことを思い出し、
そして10年後のことを思いました。



02:54 | フライト先で。 | comments(0) | trackbacks(0)
なんだか懐かしかった街、北京



ー私にとって、近くて遠い国だった中国。


フランス人の友人が、
「イタリアにもスイスにも行ったことはないけど、
日本と中国には行ったことあるよ」
っと、いつか言っていたっけ。




私にとっての、中国や韓国は
「近くて、いつでも手が届きそうな国」
だったのでしょう。


彼らにとっての「イタリアやスイス」のように。





北京。




空港は、とても美しく、
「玄関」としては
申し分のない建物。



北京オリンピックのときに
注目されていたスタジアムの
その素晴しさをハッと思い出させます。






晴れ女の私も、アジアではどうも不調で、
北京では大雨を吹き飛ばすことは
できず。



万里の長城へ行こうとか、
オリンピックスタジアムを見に行こうとか
そういったたくさんの予定を
全部いったん白紙にして、
ゆっくり眠って、雨の北京を
ホテルの窓からじーっと見ていました。



小雨になって、おなかもすいたので、
日本でも有名なティンタイフォンへ。




元・北京在住の大学時代の友人が
「北京店にしかない、マンゴーカキ氷はマスト!」
と教えてくれたので、
おなかいっぱいで倒れそうだったけど、
カキ氷も注文。。。



これが、おいしすぎて・・・・
本当に動けなくなるんじゃないかというくらい
いっぱい食べました。



後で知ったのですが、
あのサイズは3人分くらいあるのだそう。
9割ほど食べきりましたよ!!




きれいなショッピングモールにある
そのティンタイフォンから
地下鉄に乗って、天安門へ。



ワクワクしながら、階段を上って
地上に出ると、あの有名な景色が。



これだけ、いろんな国にいっていても、
テレビや教科書で見たことのある景色を目の前にすると
心の奥からうぁわあああああああ!っという
気持ちになれます。




その赤い色は、
平安神宮の朱色とも違って、
モスクワのクレムリンで見た赤に
少し似ていました。
「象徴」の赤はこの色なんだな、
とモスクワ・北京の二都市を見て、
感じました。




観光っぽいことは
実は、その天安門広場を見たくらいで
今回の北京滞在は終わりました。



でも、道を聞いたり、
地下鉄に乗ったり、
タクシーに乗ってみたり、
北京の人々と言葉ではない言語で(笑)
会話をしているうちに、
なんだか懐かしい昔の日本を
思い出しました。



昔、といっても
ほんの20年前、
私がまだ小さかった頃の、
うっすら覚えている記憶の中の
日本の姿。



なんだかマイペースで、
でも、幸せそうで、
気取らない感じ。



暑い日には、
グンゼの肌着で
水際にいって夕涼みをしていたり、
人の集まるところは
やっぱり汗臭かったり。




なんだか、私はそんな北京の姿に
懐かしさをおぼえて、
そして何より、北京の人々の
はにかむやわらかい笑顔が
心の中に新しくしみこんできて、
特別なことをしていないのに、
とても心が満たされました。





それまで、実は中国人のことを
あまり好きではなかったり、
「横柄なやつらだ」
と思っていたのですが、
そんなイメージが1度フラットに戻るような
そんな経験でした。




日本や、パリで関わってきた
中国人は、やはり外国にでてきていて、
必死で、自分を守ろうとか、
自分のことを強くみせようとか、
自分がとても有能であるとか、
そういう風にあろうとしているひとが
多いのかもしれないな、と
これは勝手な想像ですが、思いました。



パリで仲の良かったクラスメイトの中国人は
それはそれは、気が強く(笑)、
常に自分が一番になることを
美徳としていました。


その姿が、時に醜かったり、
いきすぎることがあったのですが、
ある日、彼女が疲れ果てて、
私にこういいました。



「もう、完ぺき主義者であることをやめるわ。
私もあなたみたいに、「なんとかなるよ〜」
って笑ってすごすことにする。」



あれは、すごく寒い日で、
学校の帰り道、モンマルトル通りに
仕事帰りの人たちが、アペリティフを飲みにくる
時間帯の薄暗い空の下で、
「宣言する」って彼女は言ったんだっけ。


気の強い中国人ばかりじゃない。
彼らも、必死なんだよな〜。
そのことを、北京に行って
懐かしく思い出しました。






05:45 | フライト先で。 | comments(2) | trackbacks(0)
初・南半球!〜メルボルンへ〜


「え〜、赤道を境に、
南半球と北半球に分かれ、
季節が逆転します。」


小学校のときに
たしか社会か理科で習ったような。


「うそん」
と思って、ピンとこなかったけど、
クリスマスにオーストラリアでサンタさんが
サーフィンをしている姿をテレビで見て、
「ほんまなんや。。。。」
と実感したことを思いだします。




冬の装いを全く持ってきていなかった私は、
メルボルンのフライトがあると知って、
一目散に日本から冬用の上着を送ってもらうよう
母に頼み、またまた受け取りに手間取り、
出発直前ギリギリに本社で受け取ることに成功。



ドバイからシンガポールを経由し、
オーストラリアのメルボルンに向かう、
6日間のロングフライト。


シンガポールは、私の初フライトで
経験していたので、体力を温存すべく、
のんびりお散歩を楽しんだり、
消防団の記念館?のようなところに
ふらりと入ってみたり・・・・・



メルボルンに到着したのは
現地時間で7時くらい。


仕事に向かう人たちの
さわやかな顔が、ピリリと寒い空気に
ものすごくマッチしていたのが
とても印象的でした。



空港のいたるところに
DEAD MANやNIGHT MARE BEFORE CHRISTMATHで
有名なティム・バートンの作品展が
ちょうど私の滞在中に始まることを告げる
ポスターが。。。




ホテルに到着すると、
同じくクアラルンプール・メルボルンのフライトで
先についていた同僚が
「みほちゃ〜ん」
とロビーでお出迎え!!!




彼女と、その友達と
三人で映画館へ。




もちろん、
「Sex and the city 2」
を見てきました!!!




内容は割愛しますが、
舞台はお隣のアブダビ。


異国にいるのに、
なんだか映画の中に
「ホーム」を感じてしまい、
5ヶ月も住むと、
知らず知らずのうちに
ドバイがホームになっていたんだな、
と遠いオーストラリアの地で
発見しました。(笑)






メルボルンは、
街並みも美しく、
前回行ったブリスベンでもそうでしたが、
カプチーノがとてもオイシイ。





外国で飲むカプチーノは
それはそれは泡がばさばさで、
ミルクもなんだか薄くて、
期待半分、あきらめ半分で、
いつも一口目をいただくのですが、
オーストラリアではたいてい、はずれなく、
「オイシイ」カプチーノにめぐり合えました。




時差のせいか、
極度の疲れからか、
疲れて眠いのに、ずっと眠れず、
結局寝たのは朝の4時。。。




そして翌朝、起きたのが昼の1時!!!!!!!



同志社女子大学に在学していた頃、
学園祭で「ヨルダン展」というのを
催したのですが、そのときのメンバーで
現在、メルボルンで日本語を教えている友人と
12時45分に駅で待ち合わせをしていたのです。




その日は、朝早くおきて、
ティム・バートンの展示を見に行き、
そのまま待ち合わせに向かう予定でした。




おそるべし、時差!!
目覚ましをかけないでも起きるだろう、
と思っていたのが甘かった。



「すぐいくわ!」
ノーメイクで、タクシーに乗り、
無事、到着。



3年ぶりくらいの再会。




友人は昔とかわらず、
元気で明るく、
そしてキラキラしていました。



現地で教職をとるのだとか。




同じように外国で頑張っている友人をみると、
私もまだまだ頑張らないとな!という気持ちになりました。






03:12 | フライト先で。 | comments(2) | trackbacks(0)
歴史の宝島、マルタ島



村上春樹の「ねじまき島のクロニクル」にでてくる、
ちょっと変わった姉妹、加納クレタ・マルタさん。


日本人で「マルタ島」と聞いて、
この小説を思い浮かべる人は
きっと少なくないのかもしれません。


私もそのうちの一人でしたが、
その小説を読むより前に、
私にはマルタ島出身の友人がいたので
(以前ご紹介した、モスクワで再会した友人です)
「ジャノの生まれ故郷!」という印象が
個人的には強く、ワクワクしながら
降り立った空港は、まぁ、ガランとした
小規模な空港。。。



あぁ、島に来たのだなぁ、と
実感するそんなのどかな空港でした。



暑すぎず、涼しすぎず、
でもキラキラ光る太陽を想像していたのに、
一面に広がる曇り空。



少しがっかりしながら、
またバスの中で熟睡し、
着いたホテルは目の前が海!




午後3時くらいに到着して、
そこから眠くてたまらないから
少し仮眠をして、
機内で仲良くなった日本人のご夫婦と
一緒にお茶をすることに。



きっと、日本国内ですれ違っても、
話す機会はなかった人たちとも、
こうして、外国で出会うと、
「同じ日本人」というつながりで、
仲良くなれたり、色々話したりできるのが、
外国旅行での出会いの醍醐味だと私はいつも思います。



そんなチャンスが転がっている、
外国での生活や旅に、
私はまだまだワクワクしてしまいます。


***


午後7時半。
次の日の仕事のこともあって、
観光できるのが到着日の夜しかない!
ということで、ナイトツアーバスを利用して、
マルタ島を一周することに。



ウクライナ人のクルーと一緒に参加するつもりでしたが、
直前になって、「私ねむいから」と
彼女はキャンセル(笑)



結局、他のツアー客にまじって、
私、一人で参加することに。



残念ながら、ナイトツアーなので、
二階建てのバスから見える景色を
上手に写真に収めることができませんでしたが、
潮の匂い、いろんなレストランから香るご飯の匂い、
田舎を走っていると漂う、そう、動物の糞の臭い。。。(笑)



海風とともに、感じたことは
たくさんありました。



ちょうどこの春、愉快な大先輩で
現在はフランスにお住まいの土野繁樹さん(文末参照*)が
マルタ島に行かれた際に回顧録として
エッセイを書いておられたのを
マルタ線のフライト前に読み直していたのですが、
あまりに登場人物や歴史が多すぎて、
私の小さい脳みそでは処理しきれず(笑)



ん〜、私、中学生のとき世界史、めっちゃ得意やったのに・・・・(笑)



と、いうわけで、詳しい歴史のお話は、
土野さんのエッセイを参照していただくとして、
「ドルドーニュ便り〜番外編〜」
私が実際に行ってみて、感じたことをつづりたいとおもいます。



まず、言語。
マルタ島の人々の多くは
英語をとても上手にお話になられます。


私の友人、ジャノも
美しいブリティッシュアクセントで
英語を話していましたが、
その理由は、この島が1964年に独立するまで
イギリスの占領下にあったことが影響しているのだそう。


また、現地語である「マルタ語」は
私には全くもって理解できませんでしたが、
サウンド的には、アラビア語にイタリア語の要素を
少し加えたようなかんじ。



実際、エジプト人のパーサーが
現地のホテルで現地語で電話しているフロント係の話を、
理解していたのには驚きました。
「だいたい、わかる」。




その理由は、マルタの歴史にありました。


紀元前1000年ごろ、現在のレバノンあたりを起源とする
フェニキア人たちがマルタを占領し、
その後、1100年代までイスラム帝国下にあったのだそう。



マルタ人の見た目はイタリア人やスペイン人と似ていて、
街の作りも、ローマ帝国の名残のほうが強いし、
イスラム帝国の名残を言語に見つけることができるなんて、
とても面白いな、と思いました。




食事は、スペイン料理とイタリア料理を
掛け合わせたようなお料理。





小皿料理がちらほら、
煮込み料理がちらほら、
そういう部分がスペイン料理に似ていました。



ちょうどそのナイトツアーでは
途中、レストランに入って、
ワイン一杯と、郷土料理の軽食をいただけたのですが、
これがなかなか美味。



見知らぬツアー客と
大きな長テーブルをシェアしていたのですが、
向かいに座っていたカップルが
スペイン出身で、「これってスペイン料理に似てるよね」
というと、「そうそう!!」といっていました。




街のいたるところが、
ヨーロッパの街並みのそれとよく似ていて、
ガス灯の光と夜風が、
ワイン一杯でほろ酔い加減の私には
とても心地よく、また寝てしまい、
気づいたらホテルに到着していました(笑)




*土野繁樹(ひじの・しげき)さん

フリー・ジャーナリスト。
釜山で生まれ下関で育つ。
同志社大学と米国コルビー 大学で学ぶ。
TBSブリタニカで「ブリタニカ国際年鑑」編集長(1978年〜1986年)を経て「ニューズウィーク日本版」編集長(1988年〜1992年)。
2002年に、ドルドーニュ県の小さな村に移住。雑誌『ふらんす』に「ドルドーニュ便り」連載(2008年3月まで)。
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