おおやぎみほのせかい

CFJ Paris(ジャーナリスト養成所)の卒業生・大八木美穂がつづる、つれづれ日記。

tag<パリ、留学、フランス留学、ジャーナリズム、CFJ、Paris、ニース、ドバイ>
グッバイ、ドバイ!
 去る、5月2日、2年2ヶ月23日を過ごした
ドバイの地に別れを告げ、日本に本帰国致しました。
空っぽの部屋の電気を消して、ドアをしめたときに、
目の前で全てのドラマが終わったような、
そんな気分になって、涙が一気にこみ上げてきました。


あっというまの2年と3ヶ月弱。
思い起こせば、ほーんとうにいろんなことがあって、
いろんな人間に会い、いろんな場所にいくことができた、
本当に本当に楽しい時間でした。
自分の人生の数ページに、
このドバイでの日々が加えられたことを誇りにおもっています。




もう2年半くらい前のことになりますが、
応募書類を出したときのカバーレターに「志望動機」として
こんなことを英文で書きました。


「ジャーナリズムで、ジャーナリストとして世界の人びとと関わっていくことを志し、
勉強してきましたが、私はメディア(媒体)を通じてではなく、直接、人と関わって
世界とつながっていくほうが好きだと確信し、それがしたいと思いました」



付け焼き刃で考えて書いた言葉ですが、うーんと考えて、
すらすら出て来た言葉は、やっぱり私の本音だったのかもしれません。
一度、本当に仕事が辛くて、会社のことも嫌になったときがあって、
その時にこの文章を読み返して、はっとしました。



自分のやりたいことを人生の中で叶えるというのは
とても大切なことだと思います。
同時に、勇気もいるし、努力もいる。


キャリアだけに限らず、大きなことだけに限らず、
小さいことも含めて、人生全ての出来事に関して。




この2年3ヶ月の間に、世界中のいろんな人たちと会話をしました。
幸い、お客さんと会話をすることを推奨している会社だったというのも
本当にラッキーで、だからこそ、いろんな人といろんな話をしました。
どんな国の人がどんな路線でどこに行くのか。
どんな仕事があるのか。どんな人生があるのか。


私が出会った人たち全てのお話を書いたら、
それはそれはものすごい量になってしまうので、
このブログで書くことはないですが、
私が、日本人に日本人として言いたいのは、
日本という国はとっても世界中から愛されているということ。



自信をもって、日本の外に一度でてみてください。
イギリスとか、アメリカで、イエローモンキーって差別されたからって、
外国では差別されるから、だなんて決めつけないでください。
日本にいて、「外国の」と冠がついて入ってくる情報の多くが
アメリカや中国からの情報で、それって広い世界の割合で考えると、
ものすごーく狭い「外国の」なのです。
日本人は日本人として、「でん」と構えて、どんどん世界に飛び出してください。
そして、日本にいつか戻って来て、世界と日本を距離を縮めるなり、
風通しをよくするなり、尽力しましょうよ。



外国語ができない、英語ができない、
そんなことを気にすることが、どれだけ小さなことだったか、
外にでたら気づきます。
こてんぱんにされるかもしれないけど、
誇れる何かがあれば頑張れます。
特に、ドバイに来ると、英語がうまい下手よりも、
どれだけいろんな「英語」と関われるか、コミュニケーションがとれるか、
のほうが重要です。



頭を柔らかく、心も柔らかく、
世界と日本の隔たりをなくして、
大きな世界で生きていきたい、と
私は思っています。



これからは日本に住みます。
日本で世界とつながっていけたら、
と思っています。何らかの形で。



今後はしばらく、数ヶ月分貯めているブログを
更新しつつ、世界旅行のつづきを綴っていこうと思います。







22:49 | つれづれ日記(ドバイ) | comments(0) | trackbacks(0)| - | ログピに投稿する |
真っ青な空と、キラキラの緑と ーパースー

私は、7月31日のそれこそ真夏生まれで、
寒い冬にキュンとすることはあっても、
やっぱり、どんなに暑くても、文句いいつつも夏が好き。


アラビア半島に位置するドバイからは、
それはそれは遠いオーストラリア。
ついつい遠くて嫌煙してしまうのだけれど、
やっぱり舞い降りてみると、ヨーロッパやアフリカとは違う
キラキラ太陽がまぶしくって、思わずにっこりしてしまいます。




都会のあちこちに緑が溢れる公園がある。
これって、どこかロンドンにも通じる部分なのかも。
ごろりーんと、お昼休みに芝生に寝転んでいるビジネスマンを見ていると、
なんだか人生の豊かさってやっぱり自然によってもたらされるものなのかな、
なーんて思ってしまいます。





この球根のような建物。
とても滑稽です。
もちろん、パースを代表するモニュメントだそう。


オーストラリアに入国するときには、
所持しているモノの中で、口に入るもの(つまり食品類)は
全て申告しないといけない決まりがあります。
これは、オーストラリア自体に生息する植物や果物、動物の
種が外部による汚染や混合を受けないためなんだとか。


そこまで徹底する国ならではの
自然の雄大さは、やっぱり至る所に感じます。
でも、私はたぶんこの街にいたら、
と〜っても怠惰になって、何もしなくなってしまいそうです(笑)
それくらいのんびりとした、街パースでした。




03:25 | フライト先で。 | comments(2) | trackbacks(0)| - | ログピに投稿する |
天国にいる岸本サンも読んでくれてますように
 気がつけば、ブログの4年目?の更新で
手続きをしていなくて、消滅していました、私のブログ(笑)


これからもご愛顧ください。

***

もう2週間経つので、そろそろこのブログにも
残しておきたくて、書いておこうと思います。


先日、この会社で頂く最後のロングバケーションで
さぁ、どこにいこう?なにしよう?と考えながら、
「とりあえず、まずはパリへ」と荷造りをしようとしていた矢先、
私が学生時代にアルバイトをしていた「ナチュラルサイクル」という自転車やさんの
店主、岸本哲さんが亡くなった、という悲しいお知らせを仲間から聞きつけ、
荷物をまとめ、最後のお別れを言いに京都に帰りました。


全く知らなかった私にとっては、
突然のことで「え?なんで?」
というかんじで、悔しくて悔しくて、
涙が止まりませんでした。
末期がんで、年末から入院されてたそうです。


私にとって、岸本さんは、
ナチュラルサイクルに行ったら
「ち〜っす」って店の奥から出てきて、
お茶を出してくれて、小一時間くらい
いつでも話せる存在で、、、、
そう、いつでも話せる存在やと思っていたからこそ、
もう1年くらい、そういえば会えてなかったのです。


私が、アルバイトしたいです、と
お店に行って、岸本さんに出会ったのが、
1年のニース留学を終えて帰国した21歳のとき。


なんだか帰って来た日本での居場所がわからなくて、
色々悩んでいたときに、新しい世界が広げられるきっかけになったのは、
きっとあの出会いだったんだろうなと振り返ります。


私の他にも働いてる仲間がいて、
みんなそれぞれに夢があって、
普通の人とは少し違った人生を歩んでいて、
でも、そんな私たち一人一人を
「ええかんじや〜ん」と認めてくれたり、
時に、いや、いつも(笑)、意見してくれたり、
とにかく私たちの成長を見守ってくれてるような
そんな存在でした。


岸本さん自身が、本当に自分のやりたいことを楽しんでやってて、
自分の哲学を持って、日本の未来や、京都のことを
いつも真剣に考えつつ、面白いことをしてる人だったから、
それだけ変な(失礼!)人たちが集まっていたのだと断言できます。
まぁ、岸本サンだけが「すごい!」んじゃなくって、
それを支える奥さんも「すごい!」んですけどね、もちろん(笑)


私も、時に自信をなくして、
「あぁ〜」と思うことが
大学生の頃、留学時代、就職活動中、
いろいろあったのですが、
なんだかいつも過大評価してくれて、
応援してくれて、期待してくれるから、
「よし、がんばろう」と思えて、
ここまでこれたんだと心から思います。
自分の今があるのは岸本さんのおかげでもあると。



お通夜のあと、囲む会と称して、
夜中、ずっと飲んだり、笑ったり、泣いたり、歌ったり、
岸本さんの位牌の前で、たくさんの仲間で集っていました。


岸本さんの残したものは、ナチュラルサイクルっていうものかもしれないし、
さらさ、ていうのもかもしれないし、音楽かもしれないし、服かもしれないけど、
モノ以上に、お金以上に、私は人のつながりっていうものを
この京都の街に残していかれたんだろうな、と思いました。


人はいつか死ぬ。
それは決まっていて、悲しいけど避けられない運命で。
お子さん達をみていて、お父さんを亡くしたということは
悲しい、私には想像つかないくらいツライことなのかもしれないけれど、
お父さんが残してくれた、人のつながりとか、お父さんの仲間とか、
いっぱいあって、周りにたくさん人がいて、「あぁ、この子達は幸せだなぁ」と
不謹慎ながら、思いました。



温かい涙がながれるような、
そんなお通夜もあるもんなんだなぁ。
その人が、どんな人生を送って来たか、
それって死んだときにわかるのかも。


そんなこんなで、
しばらく、思い出してはふとした瞬間に
涙が溢れてきて、「へい、バカンス!」と
旅にでる馬力はでなかったので、
日本でゆっくりと長期休暇を過ごしていました。
だけど、「人の生き方」について考えた一週間は
本当に有意義だった気がします。
そんな機会を今、いろんな分岐点にたってる私に
岸本さんがくれたんだと思います。


暗い投稿にならないように、
先日タンザニアで買ってきた太陽を感じる
CDを聞きながら、ここまで綴りました。



岸本さん、今まで、ありがとうございました。
また天国でも雇ってくださいね!!




19:19 | - | comments(0) | trackbacks(0)| - | ログピに投稿する |
京都人、マドリッドで迷子になる

 2011年最後に訪れたのはスペインのマドリッド。


たしか、20歳の頃ニースに留学していた時のこと。
友人を訪ねて電車とバスを乗り継いでバルセロナを訪れた際、
スペイン列車爆破事件」(参照:Wikipedia)という大きな事件があり、
テレビ画面をみながら、「アルカイダの仕業かも」とか
「いや、ETA (スペインバスク地方独立を主張する民族組織)だよ」
とか、話し合っていたので、
なんとなく行くことをためらって避けて8年間過ごしていました。
イメージというのは怖いものです。


というわけで、8年越しのこんにちわ、マドリッド。
ヨーロッパの中でも南西とはいえ、
年末ともなれば、冬は冬!寒い。。。。

でも、パリやドイツとちがって、
空を見上げると青空。
これには少し心が晴れやかな気分になります。


来たがってたくせに、ノープランだった私は
友人のブログをたよりに「大きなマーケットへ行こう!」
を第一目標に。あとはとりあえず街中を歩いてみよう、と
目星をつけ、「ヨーロッパはだいたいオペラ座付近に行けばなんとかなるだろう」
とチケットを買って、ふらりと地下鉄に乗り込みます。







車内にある経路案内の表示が、違う路線の分もしてあるので
「あれ、ワタシ間違えた??」
と一瞬おもったものの、間違ってない。(笑)


とりあえずオペラで下車。






こじんまりとした、まるでニューシネマパラダイスの映画館みたいなオペラ座。


さて、とりあえずデパートにでも行ってみよう!
と地図を片手に、人の歩いていくほうにつられ歩きます。



目的なんてあってないようなもの。
「こここういくべきなんだろうけど、この道いってもいけるはず〜」
と安易に考えて、テクテク邁進。




だんだん自分の居場所がわからなくなってきました。








んー。。。


結局、自分の「なんとかなるだろ〜〜♬」
という勘は大ハズレ。
京都人によくある、「道はどっかでつながる。」という
勝手な考え方のせいであることはゆうまでもありません。
(注:京都は道が碁盤の目のようになっており、たとえ1本早く曲がっても、
かならず目的地に着くようにどこかで帳尻を合わせられるのです)



お腹もすいたので、市場に向かうことに。
なんと、一番最初にいたオペラ座近くにあることが判明。










おぉ、ご飯だ!!!
空腹すぎた私は、にぎわいと美味しそうな匂いに
すっかり吸い込まれてしまいそうになりました。



マドリッドでは魚介を!と決めていたので、
立ち食いでピンチョスをいただきます。






もっと食べたいし、もっと頼みたいけど、
持てないし、勇気がでなかったけど、
おいし〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!



感動です。美味しすぎました。
家で作れるようになるといいな!
頑張れ、ワタシ!





あんな調子でパンばっかりたべてたら、すっかり野菜が恋しくなり、
つづいて最後に頼んだのが、この魚介サラダ。



ものすごい量で、そして高かった。
「減らせない」と冷たくいわれるあたりは
やっぱり観光地の一つだからのかなぁ。。
1人ぼっちだったのが残念だったけど、とても楽しかった市場。
友達といったら10倍楽しいに違いない!!


ホテルに帰って爆睡して、
次の日の朝は散歩がてら朝食の食べれそうなカフェ探しを。


あまりなかったけれど、雰囲気で「なんとなくここ!」
とおもって入ってみたそのカフェ、お兄さんが優しくて、
英語が通じないから身振り手振りでコミュニケーション。



トルティーヤとホットチョコレートとチュロス、
と食べたいものを全て頼んだら、
ちょっと笑われました。「朝からそんな食うのかよ?」
ってな具合に。



でてきた量をみて、びっくり。
チュロス3本、トルティーヤは扇形くらいの大きさ。
食べれないかもな。。。と思いながら、
一口たべると、美味しすぎて美味しすぎて、
結局、全部きれいに完食!!!!!(笑)


お兄さん1人で切り盛りしている小さなお店で、
なんだかマイブルーベリーナイツにでてくる
カフェみたいな空気が漂ってて、居心地がよくて、
またここに来たいなと思いました。


次は、きっと晩ご飯を食べに!!




07:36 | フライト先で。 | comments(0) | trackbacks(0)| - | ログピに投稿する |
もうすぐクリスマスだったハンブルク(ドイツ)


クリスマス、あれ?一ヶ月も前のことか。。。(笑)


というわけで、12月いっぱい体調不良に悩まされ、
「一に健康、二に健康」を実感した2011年終盤。

***


本当はローマのクリスマス市を訪れる予定だったのですが、
「そういえば、昨年見たなぁ」と思い、
それならば本場(?)ドイツのクリスマス市に行くっきゃない!
と、ハンブルクを訪れることにしました。


が、しかし。
冒頭に書いた通り、風邪が長引いて
到着するなり、3時間のお昼ねターイム(笑)
雨もぱらついているし、もう外にでるのはやめるか。。。
と思いながら、「いやダメだ!」と眠気に打ち勝ち、
カメラと財布と傘、そして体中を布で覆って、いざ、出発!





小雨は降っているものの、寒さは泣くほどでもない。



雨でキラキラする地面と、温かい雰囲気の漂うヨーロッパならではの
部屋からの灯りが、まるで蜂蜜みたいにとろりと目の前に広がっていて、
「わぁー綺麗だなぁ。」と胸がいっぱいになりました。









と、ここでカメラが動かなくなりました。(笑)
「え??!!!まさか、雨のせい?!?!


ドキドキ、はらはら、「いやーー。。修理して直るの。。?出費痛いわ。。」
と思いながら、よくよくみてみると、ただの充電切れ!


たしかに一眼レフのバッテリーを充電した記憶が、
随分、もう数ヶ月もないのと、
あと何より、私は「ここぞというときにバッテリーが切らす人間」
であったということを思い出し、
「ま、いいや!最近はスマートフォンもカメラ綺麗にうつるし。。」
と携帯をみると、携帯も「電池残量が少ないのでカメラを終了します」
とまもなく表示がでてしまい。。。




クリスマス市の写真はありません。(笑)




そして、ドイツのクリスマス市といえば、
グリューワイン(ホットワイン)が有名なのですが、
軽く頭痛がしていたので、飲むこともできず。



それでも何かドイツのクリスマスの思い出を、と
入ったお店が雑貨屋さん。



クリスマスツリーなどにつけるオーナメントや、
プレゼントを包む包装紙なども売っていたのですが、
打ち出の小槌があれば、全部買い占めてしまいそうなくらい
可愛かったです。



本当に集めだしたら、キリがなくなるほどの
クリスマスグッズだったのですが、
本当にキリがないなと思ったので、厳選して選び、
そして泣く泣く諦めてお店を後にして、
強くなってきた雨の中を歩きながら、ふとこう思いました。



ヨーロッパの冬は、日照時間もぐんと短く、
そしてカラダの芯から氷そうなくらい寒い。
だから、そんな暗い街をにぎやかに彩る
野外クリスマス市が行われているのかも。


どっしりとしたモミの木に
キラキラとオーナメントが飾られた
華やかなクリスマスツリーも、
そんな暗くなりがちな人びとの心の中を
明るく朗らかにしてくれる役割もあるのかもなぁと。
飾り付ける楽しみもふくめて。


日本には、年末にしめ縄を飾り、
おせちを用意して、大掃除をし、
「あぁ、忙し」と年賀状を書き、
蕎を食べて、ゴーンと厳かな鐘の音を聞き、
目が覚めたら年賀状が配達されていて、
豪勢なおせちをつつきながら
「あぁ、あの子も大きくなったねぇ」
なんていう会話をする。



当たり前のことだったんだけど、
ふと、どんだけ両手いっぱいにクリスマスオーナメントを
ここドイツで買っていったって、
ドイツのそれに勝つことはできないし、まねたところで
家の作りも、広さも、光の具合もちがうし、
それよりも自分たちの持ってる文化の中にある
しめ縄だったり、門松だったりを、
もっと大事にしたいなぁという気持ちになりました。





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